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10月, 2024の投稿を表示しています

B2-さとみ別館ライブラリーBlogger編(2)

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  石原さとみ   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ A1-さとみ別館ライブラリーAmeba編(1)   A2-さとみ別館ライブラリーAmeba編(2)   A3-さとみ別館ライブラリーAmeba編(3)   B1-さとみ別館ライブラリーBlogger編(1)   B2-さとみ別館ライブラリーBlogger編(2)   B3-さとみ別館ライブラリーBlogger編(3)   G1-さとみ別館ライブラリーgoo編(1)   G3-さとみ別館ライブラリーgoo編(2)   L1-さとみ別館ライブラリーLivedoor編(1)   L2-さとみ別館ライブラリーLivedoor編(2)   L3-さとみ別館ライブラリーLivedoor編(3)   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 🍂 NEW SERIES ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 🍂 NAVIGATOR  B2-ドラゴンエアーライン   B2-さとみ別館ライブラリーBlogger編(2) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ B2-蓮池と渡月橋   B2-義経の裏顔   B2-河内源氏と冠稲荷神社   B2-月と大国主   B2-翁( おきな)を考える   B2-禅定(ぜんじょう)世界にて(この世)   B2-太田市周辺と宮家   B2-この世は多元浄土(2)空海編   B2-この世は多元浄土(3)西連寺   B2-この世は多元浄土(4) B2-この世は多元浄土(5)義経と巫女舞編   B2-現代宇宙工学的神社考(1)   B2-現代宇宙工学的神社考(2)   B2-ご祭神考(1)太田神    B2- ご祭神考(2)菅原道真   B2-ご祭神考(3)市杵島毘売神   B2-その他 B2-地域編 B2-千秋クリエーター   B2-AEONインホクルーズ   B2-プロフィール B2-AEONの散歩道*星まつりの夜   B2- AEONの散歩道(恋の必勝法)   B2-AEONの散歩道(序)   B2-千秋ウォーキング   B2-千秋湘南サーファー   B2-千秋naturalist自然の中に   B2-ソウルトラベラー   B2-稲荷神社(1)   B2-稲荷神社(2)   B2-翡翠色の雨がふる埼玉編   B2-宇多天皇と菅原道真(桐生天満宮)   B

B2-蓮池と渡月橋

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  太田市教育委員会 説明文 最初に興味をそそるのは、やはり蓮池と渡月橋 渡月橋 渡月橋 私のイメージ 月は死の世界への入り口、竜宮へ通ずるところ。 橋は宝珠が有るところから、龍、この世とあの世 への橋渡し。伝説に蓮池は龍宮への入り口。池の底 から龍宮へのみちが開けているらしい。 注、蓮の糸とは、蓮の葉や茎からとったという繊維。 極楽往生の縁を結ぶという  渡月橋を渡ることで、この世から俗界を離れ神聖 な領域に入ることを意味するらしい。   この橋を渡って先へ進むと、徳川家の墓所に行きつく。 俗界を龍神の橋を渡ると、そこは静寂の地、骨の 安置場所。つまり蓮池の底には龍宮への道があり、 墓所の方から蓮池へ向かうと死後の世界へ、逆に 龍宮の方から新しい魂が出てきて、俗界の方へ向かう と新しい生命の誕生となる。水は魂の通路でもある。  

B2-義経の裏顔

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  頼朝、義経は異母兄弟。父親は源義朝 源頼朝(兄)  義経と弁慶 義経(幼名牛若丸)は11歳の時に鞍馬寺へ預けられ、文武の修練 に励むこととなる。 父は義朝(よしとも)、父親の名前は子に継がせることが多いが、 なぜ兄頼朝に朝の字を、義経に義の字を与えたのか不思議で ある。祖父は源為義、頼朝の母は由良御前、義経の母は常盤御前 なにか父義朝は、常盤御前の方を寵愛していたのではないか。 そんな気がする。それが兄弟の確執に繋がっていったのでは ないか。 ①牛若丸は天狗に剣術を習った。天狗と言えば猿田彦と言えば 物部氏、「神武朝より大王家に仕えた氏族で、元々は鉄器と兵器 の製造・管理を主に管掌していた氏族であったが、しだいに大伴 氏と並ぶ有力軍事氏族へと成長していった。」 「」内Wikipedia 更には  兵法書『六韜(りくとう)』『三略(さんりゃく)』を陰陽師の鬼一 法眼(きいちほうげん)から譲り受けたという伝説がある。 鬼一法眼とは、陰陽師であるから「法」を取ると「鬼一眼」となる。   【鬼の伝説】「一つ目の鬼と神」鬼とたたら製鉄と神の繋がり   義経と言えば影武者伝説がある。 同じように影武者伝説があるのは、 木梨軽皇子 『古事記』によれば、允恭23年立太子するも、同母妹の軽大娘皇女 と情を通じ、それが原因となって允恭天皇の崩御後に廃太子され 伊予国へ流される。その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に 自害したといわれる(衣通姫伝説)  允恭(いんぎょう)天皇の皇子。同母妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ) との不倫の恋が発覚して、「古事記」では伊予の湯に流されたあと、 妹とともに自殺したとされ、「日本書紀」では穴穂命(あなほのみこと) (=安康天皇)に囲まれて自殺したと伝えられている。木梨軽皇子 (きなしのかるのみこ)。   軽部(かるべ)=允恭天皇太子木梨軽(きなしかる)皇子  以上Wikipedia,他ネット検索   軽とは、銅のことを指すとは鉱物マニアには知られた事柄 さらに軽部という職能集団があった。木梨軽皇子は謹慎相姦で 追放され自殺したとなっているが、近親相姦は古代いくらでも あったことでわざわざ取り上げなくても問題はない。 この近親相姦譚、何か別の象徴性を持たせているのではないか。 私は、銅の精錬と関わりがあると判断する。継ぎ足しである。   木梨軽皇

B2-河内源氏と冠稲荷神社

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    秋の七草 OKA-P  萩と尾花 正五位上 宿窪明神と記されているとの説明である。   細谷、沢野地区は古墳も多く、古代から発展していたこと が伺われ、興味深いところではある。 「無住の平坦部に、東海系の人々が移住し、各地に村をつくった。 これらの村々は、やがて統合されこの統率者を死後に葬ったのが 古墳で、市域でも約1,000基の古墳が造られています。」 太田市教育委員会 古墳時代の太田参照 (古墳時代とは 3世紀中頃 – 7世紀頃までの間)   石田川式土器の特徴を持つ土器の源 流は 、東 海 地 方 西 部  にあるといわれています。つまり東海地方西部にあった土器 の文 化が、東 毛 地 域 をはじめとする関東地方へ波 及 した と想定されています。このほかに東海地方東部や 近 畿地方 、 北 陸地方からもそれぞれの土器の文化が伝わったことが確認 されている。土器文化の波及は「モノ」や「技術」、「情報 」 など「文化」の伝播 であり、それは つまり「人」の移 動である といえます。西 日 本や北陸から関東地方へ文物とともに多くの 人々 が流入してきたと考えられる。 石田川式土器が作られたのは 古墳 時代前期頃(3世紀後半~4世紀代)といわれます。 それでは古墳時代前期の三河国とはどのような様相をしてい たのでしょう 太田市教育委員会「土器からわかる人・社会の動き」参照 三河国の豪族尾張氏とは 【邪馬台国】天皇家と深い姻戚も 藤原氏と敵対。尾張氏 : 東海(5) 2022/06/10 【邪馬台国】天武天皇&尾張氏から見える女王国 壬申の乱: 東海(6) 2022/06/20 漂着した海神族がやがて尾張氏に発展して行く、天皇家とも関係 が深く清和源氏支流、宇多源氏支流とも、その勢力圏は重なって いる。鉱山系色彩も強い。宇多天皇の仁和寺の近くには、伏見稲荷が ある。太秦の地もあり秦氏との関係も強いように思われる   3世紀後半から4世紀代は沢野地区、細谷地区にとっても激 動の時代の始まりと言えるでしょう。 冠稲荷神社、その由来の中に宿窪明神という神様が出てくる。 読みは「やどくぼ」そうすると「やど」とは「谷戸」「谷地」 のことと関連がゆく。   夜刀神「常陸国風土記(行方郡の条) 継体天皇の御世、矢括氏麻多智(やはずのうじのまたち)という。 郡役所より西の谷の

B2-月と大国主

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  渡月橋 この世と浄土を結ぶ龍の橋 池の底には龍宮へと続く道、月の満ち欠け 女の時を刻む 月にはウサギが餅をつく 「秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。 ところが餅を使って的として矢を射った ところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、」 伏見稲荷起源 餅に矢、矢は朱塗りの矢伝説から餅は女性 女性からは白鳥が現れる。白鳥は魂、よって 白鳥は新生児の魂、臼は白鳥の巣、杵は木津根 家系を表す。白鳥の巣は女性家系を表す。 ウサギは多産の象徴 新生児の魂を生み出す 仲介者。白鳥の巣は卵巣子宮でもある。 子宮は月に一度血に洗われ、活力を取り戻す。 牝神の血で洗われた子宮には、木津根から 新たな魂が送り込まれ、卵子と受精、 新生児の魂として、地上の和合する 男女に送り込まれる。 祇園牛頭天皇 一羽の白兎が現れアマテラスの服の裾をくわえ道しるべを かってでた。白兎についていくと中山の尾続きの遥か西の 方に石が二つありそこへ辿り着く。アマテラスはそこで仮宿 を営みしばらくとどまることにした。 実は白兎は月読尊(ツクヨミ)の神体であったのである。  竹寺のスサノオ   須佐之男命の系譜、牛頭天皇 大国主命、月読命 サンタクロースがトナカイのそりに乗り、赤い服 を着ているのも、ほぼ同じ理由かと思われる。 月読命は、血の洗浄、受胎、出産を司る。 更にはスサノオの系譜が生命の死と再生のメカニズム を司る よって月を愛でることは、生命の再生の神々に敬愛 の情を抱くことであり、我が教団においても、月夜見の 神を信奉するものである。 更には渡月橋はそれを象徴的に表すものである。   サンタクロースとプレゼント それは豊穣のシンボルである。大国主も打ち出の小槌 は宝物を打ち出す。 やっぱりサンタクロースも月へ帰ってゆく サンタクロースも大国(だいこく)様もよく似ている。 大国主の小槌を杵に置き換えると月読命となる。   ドイツの古い伝承では、サンタは双子で、一人は紅白 の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人は 黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをする (クネヒト・ループレヒトを参照)。容姿・役割共に 日本のなまはげに似ており、民俗学的にも年の瀬に来訪 する年神としての役割の類似が指摘される。 お仕置きをさせる。Wikipedia 抜粋 なまはげ柴灯祭り 由岐の火祭り 原型はなまはげ年神祭り

B2-翁(おきな)を考える

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  翁と使徒の狐  参考 日本文化における狐WiKiPedia 冠稲荷神社拝殿正面上部の額を参照のこと 私はこの額の価値は高いと思っている。この額がこの神社 のすべてを物語っているように思われる。あまり他神社では 見かけない。重要文化財である。 翁 右「鬼女」 能楽・黒塚-抜粋版  https://www.youtube.com/watch?v=wikJu0O_7BY 能「黒塚」を見ると、鬼女は茶枳尼天そのもの であることが解かる。 よって、「翁」の裏側は「鬼女」であろう。   古代、長老は政治、祭祀に絶対的権力者であった。 最大の使命は、村の墓所を守ることであった。墓所は 村民の帰るべきところであり、また生まれ来る場所で もある。それは現代日本でも変わらない。村落共同体 の中核なのである。それを長年維持するためには、強 力な経済ネットワークが必要である。祭祀には莫大な 金額を投入する。古代社会程村長は、政治経済祭祀の 頂点に立つ存在なのである。別な視点で申し上げると 経済資源の循環と魂の輪廻循環が、村長の役割であり 自らも神仏あるいは、ミイラとなる覚悟が必要である 。それが古代集落の村長なのだ。それが「翁」と呼ば れる正体である。 白滝神社 翁の舞 https://www.youtube.com/watch?v=ScBjMmnJN7k 翁の舞を見ているとゆっくりとした動作のからいきなり 大きな足踏みの音、時代を遡る程、人間は自然観察に 優れている。そう簡単には騙されない。そのような観客 を惹きつけて、超自然的なパワーを見せつけ、短時間で 人心を惹きつけるトリックがそこにはある。 古代において新技術の浸透には、そのようなプレゼンが 必要であった。たたら製鉄には金屋子神や月に桂の木が 関係している。それはキツネの技とも言われている   摩多羅神 頭上に北斗七星 左画像 摩多羅神と二人の童子 右画像翁と二頭のキツネ よく似ている。キツネも人の魂をあの世に届ける裏方である 狐は化ける時葉っぱを頭に乗せる、よく見る絵がある。 葉っぱは紅葉し落葉となり、春に新緑となり世代交代する。 狐は人間の死に際と、誕生に関わっている。 葉っぱのフレディ―いのちの旅― 朗読 KumikoMatsukawa   摩多羅神とはタキニ天である。「経に云う。臨終の際その者 の死骸の肝臓を喰らわなけ